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いろんな生

突然ですが、「生」という漢字を見た時、何と読みますか?

僕は「なま」と読んでしまうんです。

 

わかります。「せい」とも「き」とも読めるし、送り仮名がつけば「いきる」「うまれる」など様々な読み方があるでしょう。ですが私は自然と「なま」と読んでしまう。世間ではどの読み方が最も勢力が強いんでしょうね。

 

ところで、「なま」っていろんな意味がありますよね。

 

「なま」と聞いてまっさきに思い浮かぶのは生ビールなんですが、この「なま」は「加熱処理をしていない状態」を指しています。「生肉」とか「生牡蠣」とか「生ニンニク」とか、食物・飲料の接頭語として「なま」が使用される場合、その意味合いで使われるようです。

20代男性的には生ビールといい勝負ですぐに思い浮かぶのがセックスにおける「なま」だと思いますが、これは「何も装着していない状態」を指しています、たぶん。ただしセックス以外でこの使われ方をしているのを見たことがないので、もっと限定的に「避妊具を装着していない状態」と表現してもよいかもしれません。

ほかだと、「生放送」とか「生演奏」がありますが、この2つは微妙に違う意味合いです。前者が「異時的ではなくリアルタイムで」という意味合いである一方、後者は「テレビやラジオ、インターネットなどの媒体を介さず直接目の前で」という意味合いで、どちらかというと後者は距離的な文脈のように思われます。演奏はiTunes(ひいてはスピーカーやモニター)などの媒体を介して体験するのが基本であり、それを直接目の前で体験することの特別感が「生演奏」という言葉には感じられます。

あと、[ユーザーの生の声」なんて言ったりもしますね。これは「ありのままの」みたいな意味合いです(「広告や調査などを通さないありのままの」ととらえると先ほどの「生演奏」と似たような意味合いかもしれません)。

 

気になっているのが、「生キムタク見た!」みたいな「なま」についてです。(キムタクって死語?)

いつもテレビに出ているキムタクが実は加熱処理されたものである可能性は否定できませんが、現実的に考えると「生演奏」とかと同様「キムタクが目の前にいる」ことを表現していると思います。芸能人はテレビとか雑誌とかで多少美化されて表現されているのが基本で、眼の前にいることは特別な状態なのでしょう。

しかしそれとは別に「本物のキムタクである」ということの表現であるのではないでしょうか。この2つは似ているようで微妙に違う。たとえばドラマの収録現場でキムタクが何かセリフを言っているのを見たとします。ある意味これは「生キムタク」です。けどこのキムタクは何というか、加熱処理されたというか、偽物のキムタクっぽく感じてしまうんです。本当のキムタクではなく、演じているその役の方ではなかろうかと。

 

こう考えてみると、これまでの「なま」はすべて「本物である」という意味合いであるように思えてきました。加熱処理していないビールこそが本物のビールであり、だからみんな「生2つ」とか言って当然のように注文します。金銭的時間的都合によりネットで聴くことが多いけど、コンサートホールに行って聴くのが本物の演奏を聴くということだ、とも思えます。避妊具をつけたセックスなんて本当のセックスじゃない!

 

そうすると「本物」の定義が必要になってきます。何をもって本物と呼ぶかは時と場合により変わります。いま、レコードで聴く音楽は「本物」でしょうか。電子ピアノから流れる音は「本物」のピアノの音でしょうか。いま、テレビにかぶりついてリアルタイムで番組を観ることが「本物」の放送を享受することなのでしょうか。外で飲む缶ビール、美味しくないですか?もしかして、0.01mmの避妊具をつけたセックスは「本物」なんでしょうか?

 

本物の「キムタク」はどこにいるのでしょうか。SMAP解散のときのあの5人の映像に映っていたキムタクは本物のキムタクなんでしょうか。「キムタク」が本当の名前なのかどうかもしれません。いや、キムタクは略語なので、「木村拓哉」が本当の彼の名前なのかもわかりません。そもそも「本当の名前」とはなんなんでしょうか?もしかすると「木村拓哉」とは、名前のわからない彼が作り出した「キャラクター」なのではないでしょうか?

 

 

「本物」の自分はどこにいるのでしょうか?