読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

やたらと大学受験に強いことを謳う朝日新聞の広告への違和感

日常

最近通勤途中にある駅張りポスターが目につくのですが、いつもよくわからない違和感を覚えるので、それが何なのかを考えてみました。

f:id:toruyy:20160503200210j:plain

最近駅によく貼ってるパスター群

この広告が言っていること

まず、これらのポスターから以下の5つのことが言えます。

  1. 朝日新聞は、2013年の大学入試問題に一番多く採用された新聞である。
  2. 大学入試問題に採用された朝日新聞の記事数は454記事、全体の49%である。
  3. 朝日新聞の記事を入試問題に出題した大学の数は235大学である。
  4. 最も多く大学入試問題に出題された朝日新聞の記事は天声人語で、96記事が採用された。
  5. ①〜④の事実を朝日新聞社は広告としてアピールしている。

「ここ、出るとこ。」というキャッチコピーが表す通り、受験生に対して「朝日新聞読めば大学受験に役立ちますよ」というのが直接的なメッセージのように思われます。少し裏を読めば「これだけの大学に認められた朝日新聞」、つまり正統性の訴求ということでしょうか。

この広告のメッセージは誰に向けて発せられているのか?

では実際この広告は誰に向けたものでしょうか。直接的なメッセージ通り受験生に対してだったとして、受験生はこのポスターを見て「よし、合格するために朝日新聞を購読しよう!」となるとは思えません。ちなみにこのポスターを見かけたのは、朝日新聞本社がある都営地下鉄大江戸線築地市場駅ですが、ぼくの知る限りこの駅を最寄りとする高校はありません。であれば、受験生へのメッセージに見せかけて、真に朝日新聞が伝えたいことがあると考えるのが自然です。

「大学入試問題に採用される文章」とは

先ほど裏を読んで「これだけの大学に認められた朝日新聞」というメッセージが見えると書きましたが、ではこのメッセージはどういう意味をもつのでしょうか。そもそも「大学入試問題に採用される文章」とはどういう文章でしょうか。

論理構造が明確である

ひとつは論理構造が明確な文章であるということ。例えば「論旨が一貫している」「指示語が指す対象がきちんと明示されている」などが満たされていなければ、問題として成り立ちません。つまり朝日新聞はそのあたり曖昧な文章が少ないということになります。しかしこれは新聞を読む人にとってどれほどメリットと感じられるものでしょうか。

受験生に読ませるべき内容である

ふたつめは、話題の適切さがあると思います。大学側が「受験生というある意味多感な時期に問題として読ませるべきである文章」と判断されたからこそ、その文章は入試問題の記事に採用されている(と信じたい)。もしくは、入試問題というある種「大学の顔」となるに値する文章と判断されたと言ってもいいかもしれません。つまり内容が示唆に富んでいたり、大学の持つ知的さを損なわない文章ということになります。個人的にはまず「事実を間違いなく伝える」という矜持が新聞にはあるのではないかと思いますが、社説などもあるのでそこらへんも重要なのでしょう。

大学教授がよく読んでる

最後に、上と関連するかもしれませんが、問題を作成する大学教授に朝日新聞の文章を普段読んでいる人が多いのではないでしょうか。さすがに問題を作成するにも、普段から朝日新聞を読んでいないとそれを採用することはなかなか難しいでしょう。

おそらく「これだけの大学に認められた朝日新聞」というのは、つまり「大学教授などの知識層が選んでいるのは朝日新聞である」ということではないでしょうか。賢い人は朝日新聞ですよ、と。それをもって日本を代表する新聞としての正統性を謳っているのだと考えられます。

あまりに遠回しな訴求

文ではなぜこの広告に違和感を覚えたのか。それは良質な読者層を持っているがゆえの正統性を訴求するために、「受験生に向けたメッセージ」という媒介と「大学数」「記事数」という量による訴求を用いているからではないかと思います。
この広告は質を訴求するために量を用いる、さらに受験生というターゲットを迂回してからその広告を見るものにメッセージを届けようとする、非常に遠回りな広告なのです。

広告は直接的なメッセージばかりでは人の目を引かないのが現実ですが、それでもあまりに媚びた感じのメッセージを迂回すると、品性が問われてしまうのもまた事実ではないかと思います。