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伊藤計劃「ハーモニー」を読んだ

伊藤計劃「ハーモニー」を読んだ。ストーリーはわりかしありきたりな気がしたけど、内容はすごく面白い、というか興味深かった。

卓越した医療福祉技術・情報技術によって健康な身体を完璧に維持し、みんながみんなの身体を社会的リソースだととらえることで隣人愛や優しさに包まれたユートピア。自分の身体は自分のものではなく社会のためのもので、それを傷つけることはもちろん、不健康な状態にすることすら社会的に恥ずべき行為であり、酒やたばこやカフェインなど、身体を少しでも傷つける恐れのあるものはとことん駆逐される管理社会。そこに息苦しさを感じ、そうした社会に一撃を与えるべく餓死を試みた主人公たちの話。

「真のユートピア」を描いた作品

ユートピアの本質を「平等性」とするならば、この社会は限りなくユートピアに近い。多少の反乱分子はあれど、ほぼすべての人間が生命主義という同一の社会的意識を持ち、生活を送っている。そこでは博愛にあふれ、誰も他人のことを憎まない。しかしその平等性は医療分子によって脳の報酬系を制御していた結果であった。「意思」とは脳内の報酬系の競合のことであり、つまり脳の中に「あれしたい」「いや、これがしたい」と言い張っている小人たちがいてそいつらの言い争いで一番強かった行動がとられるということだ。そこでその小人たちの力関係を操作してやることで人々の意思や行動を制御することができるという。

しかしそれだけでは真に平等とは言えず、真のユートピアとは言えない。真の平等を実現するために小人たちのあれしたいこれしたい欲求を全部ひとつの方向に向けることができるとしたらどうなるか。全員が同じ意見なら会議をする必要はなく、「意思」がなくなってしまう。それが真のユートピア

この物語は誰によって描かれたものなのか

この物語(etmlテクスト)は誰が書いたものか。この本がシミュレーティッドリアリティの話なのであれば、この世界は何者か(たぶんわれわれ)がネットワーク上に作りだした世界で、ここに出てくるキャラクタはすべてそのシミュレーションの中できるNPCと考えられる。とすれば、そこから抜け出して現実世界に戻ったミァハがやんちゃするという話になる気もするが、どうやら少し違う視点らしい。

考えるに、この本は主人公であるトァンが書いた物語なのではないか。みんなが意識をなくしたとき、トァンはWatchMeのサーバとオフラインになっていたはずだ。「わたし」の身体は「わたし」のものであると最後まで信じていた彼女はetmlを開発し、この文章を書き上げた後、全てを受けいれてユートピアに旅立ったのではないだろうか。

結局世界は変わったのか?

ただ結局この世界は何も変わっていないのではないか?etmlで感情をテクスチャとして貼り付け、実感することができる。etmlという言語を大きな枠組みとして、世界はそのままコピー&ペーストされただけなのではないだろうか。世界を包む枠組みはどこにでもある。言語、意識、その他。「意識と世界は何が違うのか」というセリフがあった通り、枠組みのとらえ方で世界は変わる。その枠組みが移し替えられただけで、etmlが発達することでこのユートピアはまた崩れていくのだろう。

世界には枠組みがある。言い換えれば、枠組みで区切られたものが世界なのだろう。そう考えれば、自分の世界は自分の意識の及ぶ範囲のみであり、見えないところは世界の外なのである。