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アニメ映画「ハーモニー」を観てきた感想

 

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

 映画「ハーモニー <harmony/>」を観に行きました。

原作は伊藤計劃の同名小説で、自分はこの原作をとても気に入っていたので、去年か一昨年に映画化の計画を知ってとても期待していました。
昔書いた感想

映像がすてきだった部分

「鉄コン筋クリート」のアニメ映画版を手がけたStudio4℃の作品とあって、さすがのクオリティでした。特に「ハーモニープログラム」起動後の演出は実写とアニメの狭間を行く感じで、こんな感じで「調和」を表現できるのか、と息を呑むような思いでした。あとは頻繁に出てくる拡張現実の視界は細かい部分まで描写されていてリアリティを感じます。

 

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映像は超綺麗です。

ストーリーは基本的に原作と変わらず、時折ビジュアライズに映える形でアレンジが加えられている、という感じでした。これは原作にはできなかったな、と思ったのが「一人一殺の宣言」の部分。画面では「VOICE ONLY」のみでしたが、口調、話すスピード、一言一言の間の取り方など、声色以外のあらゆる部分で「これはミァハの声だ」というのが感じられる絶妙なシーンでした。一回観ただけなので若干うろ覚えですが、たしか映画では「通話記録」と「宣言」の順序が入れ替えられており、「宣言」でミァハの関与を確信したトァンはバグダッド行きの飛行機の中で「通話記録」を「閲覧」します(この「通話記録」の部分も映像ならではの演出が加えられて、かなり緊迫したシーンになってました)。原作ではトァンは「通話記録」でミァハの関与を知り、彼女の影は少しも感じられない「宣言」を、「ミァハを止めなければ」という思いで聞いています。映像ならではの演出を加えた結果、それに合わせる形でストーリーも改変されたのかな、と思いました。

表現しきれてなかった部分

とはいえ、映像だからこそ表現しきれない部分もありました。etmlです。
物語全体が「etml」という架空のマークアップ言語で記述されている、という文体は、「ハーモニー」という作品の中で非常に重要な要素になっています。ただ、マークアップ言語を映像化する、というのはまったく想像がつかず、この小説が映画化されると聞いた時からその部分がどうしても気になっていました。

結果としては「ほぼ表現されず」でした。本編のストーリー上は何の関わりもない要素だったので、特に映像の中ではそれに触れられることなく、映画の始めと終わりに<etml></etml>という記述がされたにすぎませんでした。
これが非常に残念。僕個人の勝手な考えでは、「ハーモニー」という作品はエピローグこそが主題であって、トァンとミァハを巡る一連の物語はエピローグを起動させるための手続きでしかなかった。このエピローグによって、読む人は「自分のこの感情もetmlで定義されたものでないと、どうやって言い切ることができるのだろう」と考え、「意思とは何か」という問いを自らに投げかけざるを得なくなる、そういった装置が「ハーモニー」という作品と言えます。そうした側面がほぼ語られず、あくまでトァンとミァハの物語が映像化された、ということについては正直少しガッカリしました。

あとはチェチェンでのウーヴェとの会話が全カットされたこと(たぶん尺の問題で)。トァンが「これは自分の物語だ」と強く認識する良いエピソードだと思ったのだけど。

それらは抜きにして、映画として楽しむことができた作品ではありました。もしかしたら原作を読まずに観た方がいい映画かもですが。

おまけ:建築物

映画で出てくる都市のデザインに内藤廣建築事務所が関わっているとのこと。以前ギャラ間でやってた内藤廣展にさりげなく「映画『ハーモニー』のための都市スタディ模型」みたいなのがあったので「やっぱりそうだったか」という感じではあるのだけど、これ、どうみても、、、

 

f:id:toruyy:20160503190701j:plainどうみてもチンコとおっぱいです。本当にありがとうございました。

 

ヌーヴェルのやつOMAのやつもビックリのチンコっぷりです。
「生命主義」という思想のもと、身体のすべては社会的リソースであると考える人たちが暮らす街が、生そのものになっている。基本的に物語の中核に「男」がいない映画でした(父親はいたけど)、男性的な部分はこういう部分で出してくるのかな?という感じでした。立派な街でした。