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クレイグ・モド「ぼくらの時代の本」を読んだ感想

本読んだ - 小説・マンガ以外

クレイグ・モド『ぼくらの時代の本』という本をAmazonで見かけてKindle購入しました。
本について語る本は大好きです。読んでいると色々と想像が膨らんできます。

本について考える本は、当然、著者や出版社など、本を取り巻く環境にまで広がっていきます。著者のクレイグ・モドさんは、Kickstarterを活用して『Art Space Tokyo』という本を制作し、これまでとは全く違う出版のあり方の可能性を明快に示しています。

ぼくらの時代の本

Kindleで購入。最近Kindle for Macも出たけどほとんど使ってない。

「ぼくらの時代の本」とは

冒頭、「ぼくらの時代の本とは形のある本であり、形のない本であり、その両方を行き来する本だ」と宣言されます。電子書籍がどんどん広まるなかで、形のある本と形のない本、どちらに偏る訳ではなく、それぞれの持つ意味をしっかりとらえ、さらにその両方をまたいだ出版のあり方に着いて模索しています。

形のある本

本の要素をとんでもなくざっくり分けると、「表紙」と「中身」になります。「形のある本」はまず表紙で訴えかけてきます。大きさ、分厚さ、手触り、その他諸々の物理的に訴えかけることができます。
さらに中身においては、その固定化されたレイアウトによって、より強固な意味を持ちます。(例えばマンガで、ページを開いた先のコマで驚きを与える、なんてのは、レイアウトが固定されていないと実現できない)
そうした「形をもつべき意味」はデジタル化の流れの中で忘れ去られていくだろうと著者は述べています。

使い捨てされる本たちよ、さようなら。
新しいキャンパスたちよ、こんにちは。

『ぼくらの時代の本』第一章

形のない本

テキスト主体の本は、形を問わないコンテンツと言えます。
そうしたコンテンツは様々なデバイスで、読む人それぞれに読みやすいように形を変えて読まれていく。それを著者は「テキストの滝」と読んでいます。最近は電子書籍リーダーの発達によって、それらテキストの滝を読む環境は劇的に快適になり、それはとても喜ばしいことです。

形のない本のもう一つの特徴が、「表紙」の消失です。Kindleなどでも、表紙はライブラリには見えているものの、リストの中で非常に小さく扱われ、形のある本ほど存在感を放っていません。Amazonなどでも表紙は並んでいますが、人々が注目するのはどちらかというと、その下のタイトルやレーティング。表紙はおまけのような存在になっています。であれば、表紙に本のタイトルなど必要でしょうか?形のない本において、表紙はただのアイコンなのではないでしょうか。

思ったこと

読みやすい

読んでいて思ったのは、とても読みやすい文章で、一切の飛躍がないこと。あらゆることに理由がある。なぜかつてのEリーダーが読むに耐えないものであったのか。なぜKickstarterでの金額設定はかのようになったのか。どうしてFlipBoardアプリの制作記は紙の本でなければならなかったのか。
文体については、翻訳者の人たちの腕前もあるだろうし、日本に縁が深い著者自身の影響もあるだろうと思います。本について語る本でありながら、まるで隣にいる人に語りかけるような文体で、ゆっくりと引き込まれていきます。

その工程、実に70以上。
狂気の沙汰だろ?

上掲書 第六章

本って何だ?

ここまで本について爽やかな洞察がなされている本でありながら、一切触れられていないことがあります。「本っていったい何なんだ?」
いまやKindleMac版が登場し、モバイル端末だけでなくデスクトップでも書籍の情報を得ることができます。そうなると、もはやWebサイトなどとの違いもよくわからなくなってくるのはぼくだけでしょうか。

最近はブログの文章をリライトして出版する、というようなことが多く行われています(内田樹さんなどがよくやっている)が、そうなると、ブログも本もただのテキストの集まりであり、もはやそれを「本」と読んでいいのかどうかもよくわからなくなります。
「ぼくらの時代の本」では、明確な形を伴うコンテンツと、形を問わないコンテンツに区分されていましたが、たまたまその「明確な形」が本だった場合にそれは「本」と呼ばれ、別の形を伴うものはまた別の名前で呼ばれるでしょう。形を問わないコンテンツはもはや本でもWebサイトでも何でもよいのであり、何か全く新しい名前がつけられるべきなのかもしれません。

余談

この記事を書いていて思ったのだけど、ぼくらの時代の本における「引用」の方法はどうあるべきなんでしょう。
紙の本であれば出版年と出版社、ページ数を書いていればその場所は特定できました。ですが形を問わないコンテンツの場合、ページ数は一定では無いですし、出版社なんてものは無いかもしれませんし、次々と改変が加えられ、出版年もないかもしれませんし、はたまた著者も特定の人物では無いかもしれません。

ただ、紙の本と同じ内容が含まれている場合には、よくアカデミックな人たちが避ける「信憑性の無さ」とも無縁な訳です。
論文なんかの書き方も、そのうちに変わってくるかもしれませんね。