読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自分にとってはなんでもない、誰かの誕生日について

考えてみた

別に僕が今日誕生日なわけではない。誕生日をネット上で高らかに宣言するような性格でもない。

最近facebookで「友達」が増えてくるにつれて、毎日のように画面の右上のところに「今日は◯◯さんの誕生日です」的なメッセージが出るようになった。クールキャラを装っている僕はそのメッセージが出た所でその人に対して「誕生日おめでとー!」というコメントを送りつけたりはせず、心の中で「あ、おめでとう」と小さくメッセージをつぶやく。わざわざ本人に伝える必要はない。なぜなら本人に「ありがとう」と言われるのがめんどくさいからだ。
だってその後会話が続かない。何か言いたいことがあって「あ、ところでさー」みたいなネタがあるなら話は別だけど、残念ながらfacebookの「友達」というのはそんなネタがポンポン出てくるような間柄ではないのである。なので、「ありがとう」と言われたくて「おめでとう」を言うわけではない僕は、本人には伝わらないところで小さくつぶやく。

けれど毎日のように誰かの誕生日を目の当たりにすることができるなんて、なかなか幸せなことだと思う。祝い事は多ければ多い方がいいと思うタチなのだ。みんなが悲しみにくれることはあっても、みんなが一斉に喜ぶことが少ないこの世の中で、誰かの誕生日というのは、自分が属するコミュニティが一斉に喜ぶ、とてもてっとり早い理由になる。
それに、「自分の誕生日を知っているということそのものがすでに幸せなものなのだ」という話を昔マンガで見た。「自分の誕生日を自分で覚えている人間はいない。親か誰かに教えてもらった日付をその通りだと信じているだけだ。だから、自分の誕生日を知っていることそのものが幸せだと思うのだ」という意味である。これにはちょっと感動した。ということは、みんなが自分の誕生日を知っている、しかも下手をすれば、自分が忙しすぎて自分の誕生日を忘れていても、facebookなどで友達が思い出させてくれるかもしれないということはとても幸せなことなのだ。

ということを思っていてふと我に返る。そもそも僕のfacebookの「友達」の数は125。単純に計算しても誰かの誕生日は3日に1回しか来ない。それなのになぜ僕は「毎日のように」誰かの誕生日がメッセージで通知されると思ったのだろうか。

まあ思い当たる理由はひとつで、誰の誕生日でもない、つまり「なんでもない日」は記憶に残らないというだけなんだろう。「今日は◯◯さんの誕生日です」という一言のメッセージがその日の存在を強く印象づける。

「Happy unbirthday!」という言葉がある。もともと「不思議の国のアリス」のティーパーティでの言葉らしいがそのへんはよくわからない。日本語訳すると「なんでもない日、おめでとう!」になる。いい言葉だと思う。この視点を持つことでただただ流れていく毎日をとても素敵に感じれると思う。どこかで見たときは「1年365日。そのうち誕生日は1日。そうじゃない日は364日。」という言葉が添えられていたが、364日をおめでとうと言うことができればとても日常生活は色鮮やかになるのだ。

ところが僕はfacebookで「今日は◯◯さんの誕生日です」というメッセージが出ない日のことを忘れていた。「Happy unbirthday!」からはまだまだ遠いみたいである。

そこでひとつ考えた。「Happy unbirthday!」に近づくために。 募金してみるってのはどうだろう。 地球上では1日20万もの新しい命が誕生するらしい。けど、その中できちんと成長できるのは全員ではない。飢餓で苦しむ人もいるだろうし、きちんとした教育を受けられない子供もいるだろう。 そんな子供を全員助けることなんてできないし、しようとも思わない。だって僕はヒーローじゃないから。 けど少しはその力になれたらそれは少しは素敵なことだなあとは思う程度に優しい心は持っている。 だから、誕生日プレゼントである。 誰かの誕生日を祝うことは気持ちがいい。誰だってたぶんそうだと思う。 facebookで自分の「友達」の誰かが誕生日だったら、その「友達」の誕生日を祝えばいい。それでじゅうぶん世界にちょっとだけ喜びがプラスされる。 けど、もしその日が誰の誕生日でもなかったとしたら、募金してみるのはどうだろう。その日生まれてくる新しい命に対する「誕生日プレゼント」として。 僕自身にとってはなんでもない日である。けどそんななんでもない日を「おめでとう」という気持ちで少しでも素敵にできるなら、きっと「Happy unbirthday!」の言葉のように、毎日をちょっとずつだけでも彩ることができるんじゃないのかなと思うのである。